2006年7月14日


人と人のつながりってフシギだ。
何か共鳴してしまうことがあるのか、
赤の他人同士で、気が合う必要なんてないのに。

居候からメールが来た。
もう2年半も会ってない。
わたしの中ではもう、彼に期待するのも待つのもやめている。
わたしから連絡を取ることはもうなくなっているけれど、
忘れたころに連絡が来る。
あんなに憎くて憎くて、消えてほしいくらいだったのに、
今は笑って話せる。
わたしに連絡することが、彼のどんな意図を含んでいるのか、
まったく見当がついていないんだけど、
現実、彼は時折メールや電話をくれる。

フシギなのは、
彼が連絡してくるときがいつも、
わたしがけんけんからの連絡を待っているときだから。

けんけんからのメールの返事を待っているときとか、
奴得意の「後でかけるわ」と電話を切られた後とか、
けんけんでいっぱいになっているわたしの中に、
いつも居候は入り込んでくる。

けんけんと居候の面識はない。
けんけんは居候を追い出してくれた。
居候でいっぱいだったわたしの部屋に、入り込んでくれた。
救世主だったけんけん。
今は、連絡を寄越さないことでわたしを苦しめている。
そこに入り込む居候。
時としてそれが、わたしの気を紛らわせてくれる。

皮肉なもんだ。

すべてを雨のせいにしてしまおう。
結局今月もけんじに会う夢は叶わなかった。






【お買い物なら楽天市場!】 【話題の商品がなんでも揃う!】 【無料掲示板&ブログ】 【レンタルサーバー】
【AT-LINK 専用サーバ・サービス】 【ディックの30日間無利息キャッシング】 【1日5分の英会話】